2012年11月12日(月)
『悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう』マタイによる福音書5章4節
泣くべきなのに、泣かない人達がいる。
その名は、クリスチャン。
涙は弱さのしるしだと言う人もいるけれど、もしそうなら、なぜイエス様は涙を流されたのだろう。
クリスチャンは罪を嘆き悲しむべきだとヤコブが語ったのはなぜだろう。
勿論、感情表現の仕方は人それぞれだから、涙を流すかどうかという事自体が大きな問題じゃない。
大切なのは、心のあり方だ。
罪が意味するものをいかに深く感じているかが問題なのだ。
神が悲しまれる事を、心から悲しんでいるだろうか。
自分の罪が、人間関係にどれほどの悪影響を及ぼしているか、真摯に受け止めた事があるだろうか。
大げさに悲しむふりをする必要はない。
だけど、神が悪を見て感じられる悲しみを、私達は感じているだろうか。
神は、ご自身を悲しませるものを、私達も嘆くように願っておられる。
罪を嘆いて、私達が変わるなら、涙は決して無駄にはならない。
God Bless You!!
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