9月5日(月)の手紙


2016年9月5日(月)

『さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、』エペソ人への手紙4章1節


イエス・キリストの贖いの血によって救われた人達は、共通の名で呼ばれる。
つまり、私達は「クリスチャン」と呼ばれている。

新約聖書によるならば、「クリスチャン」という呼び名は、アンテオケで生まれた。
アンテオケのキリスト信者の行いに注目した人達が名づけ親だ。

「クリスチャン」と呼ばれる人達には、ふたつの特徴があった。
まず、行った所々で、主イエスの福音を語る事、そして、バルナバとサウロから一年の間、熱心に聖書を学んでいた事だ。

クリスチャンという名前は「キリストに貼りついている」という意味があるらしく、文字通りキリストにくっついている人だ。

今日、多くの人々が自らをクリスチャンと呼ぶのならば、私達の生活はイエス様を証ししているだろうか。
御言葉に飢え渇いているだろうか。
私達の言動は、キリストの御名に誉れをもたらすものだろうか。
それとも、イエス様に恥をかかせているのだろうか。

クリスチャンという名前には、多くの意味が含まれている。

God Bless You!!

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