9月26日(月)の手紙


2016年9月26日(月)

『されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。』ルカによる福音書23章33節


ある人が、言った。
「キリストが世の罪のために死んだと言うのは、簡単な事だ。
しかし、私の罪のために、と言うのは違う。

自分も、ピラトのように無関心で、カヤパのように策略的になれる。
兵士達のように冷淡で、群衆のように無慈悲になれる。
また、弟子達のように臆病になれる。
そう思うと、ショックだ。

彼らが何をしたかではない。
私がイエスを木に釘付けにしたのだ。
私が、神のキリストを十字架につけ、嘲笑の輪に加わったのだ。」

私達自身を、この言葉に重ねてみよう。
私達も、そこにいたのだ。

だけど、十字架につけられたイエス様の御言葉、「父よ。彼らをお許しください」を思いだそう。
「彼ら」には、私達も含まれている。

イエス・キリストを殺したのは、私。
イエス・キリストの十字架により赦されたのは、私。

God Bless You!!

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