9月20日(水)の手紙


2017年9月20日(水)

『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。』ヨハネによる福音書15章5節


子どもがひとりで服を着たり、歯を磨いたり、靴をはいたりすると、大人はそれを褒めてあげる。
自転車に乗れたり、ひとりで塾に行ったりするようになると、誇らしく思う。

成長して大人になると、自活して自分の家に住み、自分で決断し、人に頼らないようになる。
そして、予期せぬ困難に直面すると、解決のヒントが書かれた本を探したりして、神にとって最も望ましい心のあり方、宇宙における私たちの有り様を最もよく物語る心のあり方を封印してしまう。

そのあり方とは、イエスが弟子たちに言われたこと、「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。

私たちは本当のところ、依存という網の目の中に住んでいる。
その中心には、すべてを結び合わせる神がおられる。
神に受け入れられる祈りの姿勢について言うならば、ノルウェイの神学者は「無力」という一語に尽きると語っている。
彼は「無力な者のみが真の祈りをささげることができる」と言っている。

子どもが独立していくと、親は寂しさを感じつつも、それが健全な成長過程であると分かっている。
だけど、神の場合はそれが当てはまらない。
私たちは決して、神から独立することがないからだ。

神から独立しているように思うなら思うほどに、私たちは自分を欺いている。
祈ろう。
祈るとは、自分が主イエスに依存していると宣言していることなのだ。

God Bless You!!

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