9月10日(土)の手紙


2016年9月10日(土)

『あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。』マタイによる福音書28章20節


ギリシャ語の研究者によると、この「いつも」という言葉は「いつでも」という意味らしい。

イエス様は単に「いつも」ではなく「いつでも」と言われた。
つまり、私達が何をしていても、また、状況が良くても悪くてもだ。
私達が日常のどんな役割を担っていても、また、嵐の時も、晴天の時も、すべて含まれる。

どんな日であろうと、主は共におられる。
喜びの日にも悲しみの日にも、健やかな日にも病気の日にも一緒にいてくださる。
成功する日も失敗する日も、共におられる。

今日、何が起ころうとも、主はそばにおられ、力づけてくださり、愛してくださる。
信仰と希望と愛で満たしてくださる。

イエス様が、静けさと確かさで包んでくださる時、問題や恐れ、苦しみや疑いは消えていく。
私達は、主がそばにおられると知っているので、どんな状態にも耐える事ができる。
パウロに「わたしがあなたとともにいるのだ」と語られた通りに。

忙しい一日の中で、ちょっと立ち止まり「主がここにおられる」と自分につぶやいて、主の存在を意識してみてはいかがだろう。
目に見えない神を、心で見る事ができるように祈ろう。
そして、どこにでも神を認めよう。

God Bless You!!

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