8月6日(日)の手紙


2017年8月6日(日)

『すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。』テサロニケ人への第一の手紙5章18節


ある詩人は「人は愚かだ。暑いときは寒さを求め、寒いときは暑さを求める。常にないものを欲しがる」と書いた。
人間の性格について、洞察に満ちた言葉だ。

一方、ピリピ人への手紙4章11節には「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ」とある。
これは、本当に可能なのだろうか。

パウロには、それができた。
パウロは自分の人生について「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。
わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」と書いている。

パウロにとって、何かを持っているとか持たないとかは、神との関係に比べれば大したものではなかった。
彼の心の満足はキリストとの関係に基づいており、状況には左右されなかったのだ。

パウロの言葉から、満ち足りた心を一朝一夕でで得られるわけではないと分かるだろう。
満ち足りた心とは、自分で学んでいくものだ。
神との関係が、時と様々な経験を経ることで深まっていくと、私たちは自分ではなく神に頼ることを学んでいく。
パウロはどんな状況に遭遇しようと、キリストが耐える力を与えてくださると知っていた。

今、どんな状況に直面していたとしても、祈りを通して満ち足りる力を得られますように。
満足は救いと同じところ、つまりキリストの内にあるのだから。

God Bless You!!

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