8月4日(木)の手紙


2016年8月4日(木)

『また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。』出エジプト記33章20節


イスラエルの人々は、神のしるしを見、神の御言葉を聞き、神の契約のもとに過ごしていた。
そして、唯一の主権者なる聖なる神への信仰が生まれた。

今日、神を友達のように考える人は少なくない。
それが悪い訳ではないが、神の権威について、旧約聖書から再教育される事も必要だ。

ある牧師は、「神を崇拝する事を一時的に中断した時、最も犠牲の大きな罪を犯した… 十戒に反するような事をしても、神は気になさらないし、介入もされないだろうと、私は静かに(そして愚かにも)結論づけた」と書いている。

彼は、神に対する愛が、情緒的、感情的な愛であった時は、心が満たされなかったという。
だけど、その愛は、今や尊敬や従順、そして感謝を表す愛に変わりましたと語っている。
また、罪に対して適切な悲しみを表現する事や、神のささやきを聞くために、静寂を追い求める事を学んでいるとも述べている。
彼は、自分と神との大きな違いを悟り、ふさわしい関係を求めるようにしているのだ。

私達は、神の子として大胆に恵みの御座に近づく事ができる。
だけど、父なる神の権威を決して忘れてはいけない。
神を礼拝するとは、神がこの上ないお方である事を意識する事だ。

God Bless You!!

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