8月31日(日)
『貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる』箴言19章17節
ある人が、「自由に使っていいよ」と言って、息子に50円のお小遣いをあげた。
その後、お金はどうしたのか尋ねると、「ある人に貸した」と言った。
「誰に貸したんだい?」と尋ねると、息子は、「神様に貸したんだ」と答えた。
詳しく話を聞いてみると、道でお腹をすかせている貧しい男の人にあげたそうだ。
「馬鹿な事をしたね。お金は戻って来ないよ」と父が言うと、「でも、お父さん。貧しい人に与えるのは、主に貸した事だと聖書に書いてあるよ」と息子は答えた。
この父親は、息子の答えを非常に喜んで、50円玉をもうひとつ与えた。
すると息子は、「ほらね。あの50円は戻って来るって言ったでしょ。
でも、こんなに早く戻るとは思わなかったよ」
神様は、子どものような信仰を喜ばれる。
だけど、良い行いがすぐに報いられるとは限らない。
この世で、報いられない事もある。
だけど、主の御名によって水一杯与える者は、天において報いからもれる事はない。
決して破られる事のない、イエス様の約束だ。
だけど私達は、報いを目当てとして良い行いをしている訳じゃない。
主が、そうされたから、しているのだ。
主が、そう望んでおられるから、しているのだ。
主を愛しているから、しているのだ。
確かに、愛なしに人々に何かを与える事だってできるだろう。
だけど、何も与えない愛は、この世には存在しない。
God Bless You!!
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