8月24日(水)の手紙


2016年8月24日(水)

『さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、』エペソ人への手紙4章1節


キリストに従って生きようとする人は、自分は何に召されているのだろうと考えて悩むものだ。
その場合、どこでどんな仕事をして生きていくかという事に焦点を当てがちだけれど、もっと大切な事は、人格であり品性だ。

その人の人格が、その人の行為を決めるものだから。
私達は、「主よ、どのような人間になる事を私に願っておられますか」と問い続けるべきだ。

パウロは、謙遜、柔和、寛容という三つの品性を挙げ、「愛をもって互いに忍び合いなさい」と勧めた。
当時のパウロにとっても、召された生き方を実践する事は簡単ではなかった。
なぜなら、彼は投獄されていたからだ。

献身とは、召しに自分を捧げる事ではなく、すべての召しを離れて自分自身を神に捧げる事だ。
そして、神の御心の場、つまり、ビジネス、司法、科学、作業場、政治、単調な肉体労働に自分自身を置く事だ。
そこで、神の御国の法と原則に従って、私達は働かなくてはいけない。

神の御前に正しい人であるならば、どのような場所に召されたとしても、どのような仕事を与えられたとしても、それを成す事ができる。
また、そうする中で、神の召しを発見し確信する事ができる。
最も大切なのは、できる人かどうかではなく、品性のある人かどうかが問題なのだから。

God Bless You!!

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