8月18日(火)の手紙


2015年8月18日(火)

『しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』ルカによる福音書15章22節


放蕩息子の話は、実は、ふたりのわがまま息子と愛情豊かな父親の話だ。
誰もが、兄か弟、ふたりの息子のどちらかに似ているのではないだろうか。

多くの人は、放蕩という生き方がよくわからないので、弟のほうにあまり共感できないのかも知れない。
だけど兄の独善的な態度は、私達の中にも見受けられる。

この兄の罪は、明らかに不道徳で堕落した生活よりも根深かいものだ。
それは、隠れていた。
だけど、おもてに現われてしまえば、それが罪であるのは明らかだ。

兄は、弟を受け入れずに怒った。
祝宴に加わらず、家に入ろうともしなかった。
そして、自分の弟の事を弟とは呼ばずに、父親に向かって「このあなたの息子」と言った。
彼は、恵みの素晴らしさを実感した事がなかったのだろう。

ところが、この父親は、ふたりの息子を無条件に愛していた。
下の息子が帰った時は、走り寄って出迎えた。
上の息子が怒ったなら、出て来て色々なだめたりした。

叱りつけたり説教したりはしなかった。
ただ、下の息子が帰って来た喜び、上の息子への深い慈しみがあるだけだ。
この話は、私達を追い求める神の愛を美しく描いている。

私達は、どちらの息子に似ているだろう。
いや、私達には、神の愛があるのだろうか。

God Bless You!!


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