8月18日(木)の手紙


2016年8月18日(木)

『地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである。』マルコによる福音書4章28節~29節


救いの証の中には、突然信仰が与えられたかのような印象を受ける話がある。
だけど、多くの場合、その信仰の決心の陰には長い間の霊的な歩みがある。

人には福音を聞いた後、思いを巡らしたり、じっと考えたりする時間が必要だ。
救い主にだんだん近づいていったという過程が大切なのだ。

これは、農業に似ている。
イエス様のたとえ話は、信仰には成長する時間が必要である事を、農作物を例にとって教えている。

農夫達は収穫を何ヶ月も待ち望んで暮らし、ついに刈り入れの日を迎えて畑に入る。
神の国を受け入れる事も、種にたとえられている。
種は芽を出して育ち、初めに芽、次に穂、次に穂の中に豊かな実ができる。
そしてついに「収穫の時」が来る。

人が信仰の決心をするまでには、福音を何度も聞いたり、時間をかけて考えたりする。
だから、その人の信仰の旅路を尊重して配慮しなくてはいけない。
私達は、その間、その人のために祈り、霊的な事柄に関心を深め、収穫の時を待っていよう。

God Bless You!!

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