8月11日(木)の手紙


2016年8月11日(木)

『主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。』ヤコブの手紙4章10節


「自分の謙虚さを誇りに思うよ」と言った人がいる。
謙虚さを称えて賞を与えられたが、それを辞退しなかったという理由でその栄誉を取り消された著名人がいる。

ダビデの「私の心は誇らず」という主張は、彼がこの著名人と同じ過ちを犯しているように見えるけれど、文章全体を理解すれば、彼が自分の謙虚さを鼻にかけて語っているのではないという事が分かる。

ダビデは、サウル王の家来達に反逆者であると非難された時、自分は「高ぶる目」を持つほど重要な人物だとか優れた人物ではないと応答している。

彼は、乳離れした子が母親の前にいるように、神の御前にいる事を学んでいた。
サウル王に追われて彷徨いながらも、親に頼り切っている赤ん坊のように神の守りにすべてを委ねていた。
この苦難の時、ダビデは自分の本当の必要を悟り、イスラエルの民に「今よりとこしえまで主を待て」と忠告した。

謙虚になるためには、ふたつの事が必要だ。
まず自分を知る事。
つまり、自分を過大評価しないで、正しい自己イメージを持つ事だ。
それ以上に大切な事は、神を知る事。
即ち、神を神として心から敬い、御心の時に神の最善がなされると信頼する事だ。

自分は十分に謙虚だと考えるなら、その人はもはや謙虚だとは言えない。

God Bless You!!

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