8月10日(木)の手紙


2017年8月10日(木)

『わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである。』ヨハネによる福音書12章50節


姦淫の場で捕らえられた女を連れてきて、この女をどうすべきかとパリサイ人たちが尋ねた時、イエスは身をかがめて、地面に指で何かを書いておられた。
何を書いておられたのか、私たちにはわからない。

だけど彼らがしつこく尋ねると、イエスはただひと言、こう言われた。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。

この短い言葉によって、パリサイ人たちは自分の罪と向き合わざるを得なくなった。
そしてひとり、またひとりと立ち去って行った。
これは、今日の世界においても耳の痛い御言葉だ。

イエスは父なる神の御側におられ、すべてを委ねておられたので、「わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」と言われた。
父なる神とそのような関係にあったら、どれほど良いことだろう。
そうすれば、私たちも神の知恵をもって、物事に応答できるだろう。

まずは、「聞くに早く、語るにおそく」というヤコブの勧めに習おう。
「語るおそく」の理由は、無知や無関心、小心、罪悪感、恥ずかしさなどではない。
主にあって、主の御心を静かに求めるので、「語るにおそい」のだ。

私たちはしばしば、口を開く前にひと呼吸して考えなさい、と言われる。
だけど、私たちはその先を行って、常に神の知恵に耳を傾けていなければならないと思う。神のために話す前に、まず神に耳を傾けなくてはいけないと思う。

God Bless You!!

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