7月7日(木)の手紙


2016年7月7日(木)

『息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ』詩篇150篇6節


手で土をすくって息を吹きかけると、顔が汚れてしまう。
だけど、神がそうされた時、息をする人間が生まれた。
考えたり、感じたり、愛したり、また子どもを生んだり、夢を見たり、永遠に生きる事のできる人間だ。

私達は、「息をつく」とか「息をのむ」という表現を使う。
英語には、「息を節約する」という表現もあるらしいけれど、これは単なる言い回しに過ぎない。
後の日のために、息を貯めておく事はできないし、今ある息を使わなければ、窒息して意識を失ってしまうだろう。

神がアダムに息を吹き込まれた時、生命以上のもの、つまり人生の目的が与えられた。
人が生きる目的は、神を礼拝する事だ。
詩篇の著者も「息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ」と語っている。

私達は、神の中に生き、動き、また存在している。
それなのに、神の栄誉を帰す事以外に息を使うなら、それは息の無駄使いだ。

私達は、自分の息を使って、土に生命を吹き込む事はできないけれど、神を賛美し、人を褒め、病気や貧しさのために困っている人達を助けるために奔走する事ができる。

与えられた機会や能力をフルに用いて、創造主に栄光を帰する働きをするなら、私達は息を有効に活用しているといえるだろう。

God Bless You!!

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