7月6日(日)
『そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである』コリント人への第二の手紙3章10節
クリスチャンにとって律法は、運動選手にとっての松葉杖のようなものかも知れない。
松葉杖は、必要な時にきちんと使われるなら役に立つけれど、杖をついたままでは競争に勝てない。
同じように、律法を守るだけでは、霊的勝利を得る事はできない。
パウロは、律法の栄光の輝きは、聖霊様の自由といのちの輝きの前に、ぼんやりと霞んでいくと強調した。
モーセの顔は、十戒を与えられた時に光り輝いていたけれど、その光はやがて消え去ってしまった。
その後、イスラエルの人々は、シナイ山で授けられた神様のメッセージは、同時に、自分達が裁かれる審判の基準である事に気付いた。
だけど、聖霊様の働くところには、恵みがあふれ、その栄光は律法の輝きを超越している。
暗闇の中で、一本のマッチに火をつけたとする。
炎がボーッと燃え上がる時の明るさは、とても印象的だ。
だけど、太陽が輝く昼間に、マッチの火をつけても、その炎の灯火は、あまり意味がないように見えるだろう。
律法は、人々に遵守を求め、最終的には人々を裁くものになる。
だけど、聖霊様は、私達の心に働きかけて、人生を変えてしまう力を持っている。
あなたは、どちらの道を歩みたい?
God Bless You!!
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