7月4日(火)の手紙


2017年7月4日(火)

『人をさばくな。自分がさばかれないためである。』マタイによる福音書7章Ⅰ節


イエスの「人をさばくな」という命令は、分別を働かせたり間違いを認識したりするのはよくないという意味ではない。
私たちは、間違いや不正行為がたびたび起こる世界に暮らしているので、ものごとは当然、批判や分析を交えて考えていかなければならない。

イエスが言われたのは、決めつけたり、切って捨てたりすべきではないということだ。
パウロはこの考えを「だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。
主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。
その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう」と説得力ある言葉で言い表している。

疑問を感じさせる行動をする人について、「未だもって、非常にあいまいな点がある。
つまり、動機、それをする理由だ」と語った人がいる。

他人の動機がわかる人などいない。
闇の中に隠れていることに光を当て、心のはかりごとを明らかにできるのは神だけだ。

幼少期の過酷な体験、恐れ、失望、傷心、押し殺した罪など、密かに人を動機づけている力があるけれど、イエスはすべてを知っておられる。
またそれ以上に、従順な心を知っておられ、その心を成長に導いてくださる。
そして最後には、私たちの予想に反して、完成に導かれた人々を賞賛してくださる。

主だけが、心を調べることのできるお方だ。
再臨の時が来るまで、自分の心を吟味できるよう、主に助けていただこう。
そして、人を裁くことには遅く、自分を裁くことには速やかでありたい。

God Bless You!!

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