7月30日(土)の手紙


2016年7月30日(土)

『蜜を得たならば、ただ足るほどにこれを食べよ、おそらくは食べすごして、それを吐き出すであろう』箴言25章16節


食べ物は、聖書においても重要な役割を果たしている。
神は、食べ物を用いて民を教育された。

神は、旧約聖書の中で、アダムに食べてよいものとそうでないものを示された。
またエジプトを脱出した民に、マナを与えられ、ご自分が神である事を示され、彼らの信仰が本物かどうかを試された。

食べ物を正しく用いないなら、神を正しく知る事が難しくなる。
パウロは、「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」と語った。
これは、クリスチャンのあるべき姿だ。

食べ物で心を満たそうとしたり、太るから食べ物を嫌悪したりするなら、神の贈り物を受け取って感謝する喜びを逃してしまう。
グルメ三昧や大食い、ダイエットに対する過度の関心は、その人の焦点が、与え主ではなく与えられた物に当てられている事を意味している。
これは、偶像礼拝だ。

食べ物に夢中になると、いのちの糧に対する食欲が衰えてしまう。
だけど、食べる事で神の栄光を現そうとするなら、食べ物を偶像化する事はない。

God Bless You!!

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