7月29日(金)の手紙


2016年7月29日(金)

『あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。』ルカによる福音書18章14節


こんな場面を想像して欲しい。

小学生達が、聖書を学んだあとに輪になって、互いのために順番にお祈りをした。
「天のお父様、太郎くんが女の子に夢中になり過ぎませんように」と花子さんが祈った。
すると、太郎くんはクスクス笑いながら「花子さんが学校で悪さをして他の子を困らせませんように」と加えた。
次郎くんは「主よ。太郎くんがお母さんの言う事を聞き、いつも口答えばかりしませんように」と祈った。

これらの祈りに嘘はないけれど、彼らは神の助けを真剣に祈っていたわけではない。
むしろ、友人の欠点を、人前で指摘してからかっているようだった。

彼らの先生は、全能の神の御前でふざけてはいけないと諭し、まず自分の心を点検しなさいと説いた。

もし、私達が自分の欠点を棚に上げて他人の欠点を指摘するために祈るなら、イエス様のたとえ話に登場するパリサイ人のようだ。
パリサイ人は、「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します」と祈った。
だけど、私達の祈りは、「こんな罪人を憐れんでください」と祈った人のようであるべきだ。

私達の祈りが、他の人の欠点を指摘する一覧表になってはいけない。
自分の罪深さを謙虚に見つめ直す時に湧き上がる祈りを、神は求めておられる。
最も優れた祈りは、謙虚な心から生まれるのだから。

God Bless You!!

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