7月20日(水)の手紙


2016年7月20日(水)

『この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう』創世記39章9節


ヨセフは、ある時、困った事になった。
主人の妻に口説かれたのだ。
ヨセフのように健康で若い青年にとって、これは大きな誘惑だっただろう。
また、その誘惑に乗らなければ、彼女をひどく怒らす事になるとも思っただろう。

だけど、彼はキッパリと拒絶した。
罪は罪というしっかりとした道徳心と神を畏れ敬う信仰を持っていたからだ。
罪を弁護するのは無益な事だと、彼は知っていた。

昨今、罪を罪と呼ばずに、あたりさわりのない言い方をする事がある。
だけど、これは罪に抵抗する力を弱め、罪がもたらす害を過少に評価させるだけだ。
ヨセフにとって、罪は単なるうっかりミスではなかった。
ちょっと魔が差しただけでも、一瞬だけ分別を失ってしまったのでもない。

ヨセフは、罪は罪だと見ていた。
それは、神に対する重大な違反行為であり、その深刻さを侮る事はできなかった。

神の道徳的基準は、絶対的な基準だ。
罪は神が忌み嫌われるものだ。
この事実を理解してはじめて、私達は正しい道徳的判断をしようと努力するようになる。

罪をあたりさわりのない言葉で呼んでみたところで、神を侮辱していることに変わりはない。
また、私達を大きく傷つける事にも変わりはない。

God Bless You!!

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