7月17日(日)の手紙


2016年7月17日(日)

『それゆえ、わたしはわが口をおさえず、わたしの霊のもだえによって語り、わたしの魂の苦しさによって嘆く』ヨブ記7章11節


私達と神は、実力の差はあっても、仕事のパートナーだというのは、大言壮語もはなはだしい限りだ。
だけど神は、この世で御国の働きをされるために、不釣合いな私達と同盟を結ばれた。
人間はいわば神の仕事の請負人で、ともに歴史を作ってきた。

だけど両者の関係は、例えばマイクロソフト社とパソコンのプログラム制作を学ぶ高校生のようなもので、力の差は歴然だ。

私達は、不均衡な力関係がどういうものか良く知っている。
強い者は言いたい放題で、弱い者は静かにしている。
しかし神は、私達に何を言われてもびくともされないので、常に正直に話して欲しいと願っておられる。

私は時々、神が正直な祈りをこれほど良しとされるのはなぜだろうと思う。
不当なほどに、赤裸々な感情をぶつける祈りさえ、神は受け入れてくださる。
聖書の中に、不機嫌な祈りが多い事には驚かされる。

エレミヤは不平等に不満を言い、ハバククは神が耳を傾けないと非難し、ヨブは「私達が彼に祈って、どんな利益があるか」と泣き言を言った。
私達は、なりふり構わず正直に祈るべきだと聖書は教えているのだ。

不満があるなら、その不満を携えて御前に出る事を、神は望まれる。
心が血を流しているのに、笑ったふりをして人生を歩んでいるなら、神を侮辱している事になる。

God Bless You!!

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