7月14日(金)の手紙


2017年7月14日(金)

『こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。』ヘブル人への手紙12章1節~2節


サタンは、脇見をさせるのが得意だ。
私たちがイエスではなく、サタンに目を向けるように誘惑する。
注意を引きつけるなら、私たちは脇道にそれ、霊的成長を遅らせることになるからだ。
サタンは、イエスにも、そうしようと画策したのだ。

イエスが洗礼を受けられた後、サタンは、イエスの働きを達成する「最も良い」方法を提案し、主の働きを阻止しようとした。
彼は、イエスが神殿の頂から飛び降りるなら、それで神の子であることを証明できるだろうと言った。

だけどイエスは高い建物から飛び降りるのではなく、ご自分を十字架につけることで、ご自分が神の御子であることを証明された。
だから「主なるあなたの神を試みてはならない」とサタンに返答された。

イエスの意識は、私たちを贖うことに集中しておられた。
そして、そのためには十字架を避けて通ることはできないと知っておられた。

霊的な溝に落ちないためには、「イエスから目を離さない」ことだ。
そして、サタンがちょっかいを出しても、見向きもしないことだ。
サタンに対しては、「認めて無視する」、これが一番だ。

God Bless You!!

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