7月11日(土)の手紙


2015年7月11日(土)

『わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ』ピリピ人への手紙4章11節


コーチとしても成功したサッカー選手がいた。

彼は、約100メートルを全速力で10回走るというメニューを練習の最後に必ず入れていたそうだ。
制限時間内に終われない選手は、もう一度やり直しをさせられた。

これを好んだ選手はいなかったけれど、試合の当日、嬉しい発見があった。
最後まで全速力で走り回り、プレーできたのだ。
あの努力は、優勝という形で報われた。

パウロは、競争と訓練のたとえを用いている。
彼は、異邦人に遣わされた宣教師であり、非常な苦難の中にあっても神の指令に己を従わせる人だった。
ピリピ人への手紙4章では、「私は…学んだ」、「私は…心得ている」と語っている。

イエス様に従うとは、生涯、学び続ける事だ。
少年サッカーの選手がJリーグの選手でないのと同じように、救われたばかりの時は霊的に未熟な状態にある。

神は、私達を良いしもべにするために、御言葉と聖霊を通して強めようとされる。
この神の御業を受け入れるなら、私達の信仰は成長するだろう。

パウロは、困難を通して、神にしっかり仕える事を学んだ。
私達も、学ぶ事ができる。
決して楽ではないけれど、必ず報われる。
学習すればするほど、成長する。

キリストを信じた時、私達に対する神の御業が完成したのではない。
それは、始まったばかりなのだ。

God Bless You!!


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