6月5日(木)
『あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない』出エジプト記20章3節
神様は、数々の天災を起こして、パロとエジプトに勧告された。
今や、イスラエル人奴隷のやっかい払いは急務だったけれど、イスラエル人が無一文のままエジプトを去る事は、神様の御心じゃなかった。
何と言っても、この人達は400年間、賃金をもらわずに働かされたのだから。
それで、イスラエルの人々は、エジプト人の主人に金銀の装飾品と衣類をくれるよう申し入れ、それらを手にした。
出エジプト記12章36節には、「主は民にエジプトびとの情けを得させ、彼らの請い求めたものを与えさせられた。
こうして彼らはエジプトびとのものを奪い取った」と記されている。
だけど、この神様の民が、まもなく偶像を拝む事になる。
モーセが、神様から十戒を授かるためにシナイ山に登って不在の間、彼らはエジプト人から奪い取った金で子牛の像を鋳造し、それを神様として拝んだのだ。
この悲劇的な出来事から、クリスチャンは自分の持ち物に注意深くあるべきだと教えられる。
現代社会は、良い品々であふれているけれど、その取扱いを間違うなら、とても危険な事になってしまう。
物を有効活用する事は良いけれど、それに心酔、固執してはいけないのだ。
私達は、地上では旅人であり寄留者なのだから、エジプトの宝を嬉しがって、ぬるま湯に浸かったような暮らしをしたり、人生に対する神様の召しを忘れてはいけない。
物質やお金は、役に立つ召使だけれど、時には残酷な主人にも成り得る。
だから、決して物質主義の奴隷になってはいけない。
God Bless You!!
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