6月4日(日)の手紙


2017年6月4日(日)

『主はわれらの罪にしたがってわれらをあしらわず、われらの不義にしたがって報いられない。』詩篇103篇10節


大声で「不公平だ!」と叫ばなかったとしても、そう感じたことがあるだろう。
世渡り上手で、分不相応なものを手にしたり、受けるべき制裁を逃れたりする人を見るのは嫌なものだ、と思っているのかもしれない。

私たちは、この傾向を幼い時に学ぶ。
子どもたちは、自分は叱られたのに、同じことをした弟や妹は叱られないということをひどく嫌がる。
それで、兄弟は告げ口の仕合をする。

私たちは、大人になってもそこからあまり成長していない。
私たちの考える「公平」とは、罪人には天罰が下り、私たちのような善人には神の祝福が与えられるというものではないだろうか。

ところが、神が「公平」であるなら、私たちはみんな神の裁きによって滅ぼされるだろう。

聖書は、「われらの不義にしたがって報いられない」と語っている。
神は、公平ではなく慈愛を選ばれたのだから、私たちは喜ぶべきだ。
神は愛を受けるに値しない、どうしようもない人にでも、恵みを差し出される。

それを踏まえて、考えてほしい。
あなたを傷つけた人に、正しさではなくあわれみを差し出したのはいつだろう。

神は、ご自分の正しさのゆえに、私たちを捕えようとなさるのではなく、ご自分の慈しみのために、私たちを探し求めてくださる。
そして、失われた人が見つかると、天国で宴が始まる。
神が今までずっと私たちに「不公平」であられたことに感謝する。

God Bless You!!

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