6月28日(土)
『くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を、真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教とが、そしりを受けないためである』テモテへの第一の手紙6章1節
学校の生徒の態度は、年々悪くなっているそうだ。
多くの生徒は、大人を敬っていないらしい。
テモテへの第一の手紙6章を読むと、敬意に欠けるという振る舞いが、現代特有の問題ではない事がわかる。
パウロは、奴隷制度の上に成り立っている社会で牧会をしていたけれど、その中で次のように教えている。
「信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい」と。
奴隷は、主人の憐れみに頼らなくては生きていけないけれど、そのような人達でさえ、主人を敬っていない場合があるのを、パウロは知っていたからだ。
尊敬されたければ、自分が尊敬に値する人である事を示さなくてはいけないと言う人もいる。
勿論、それは正論だ。
だけど、敬意を込めた対応ができるか否かは、相手がどんな人物かによるのではなく、自分自身がどんな人物かに関わる問題なのだ。
またパウロは、きちんと敬意を払うべき第一の理由は、「神の御名と教えとが、そしりを受けないため」だと言っている。
クリスチャンが、態度や行動に秀でるなら、神様の御名は崇められる。
敬意ある対応に秀でた人は、神様に栄誉をもたらす尊い人となるだろう。
God Bless You!!
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