6月25日(水)
『彼女はヨセフの着物を捕えて、「わたしと寝なさい」と言った。ヨセフは着物を彼女の手に残して外にのがれ出た』創世記39章12節
もし、ヨセフがポテパルの妻のしつこい誘惑に負けていたらどうなっていただろう。
「でも、神様…
あなたは、私が不幸でもよいと思われないでしょう。
私が、どれほど寂しいかご存知でしょう。
それに、私は彼女を本気で愛しているのです」と、自分の罪を正当化していたら、どうなっていただろう。
もし、アブラムが神様の命令に背き、故郷のウルを出て、見知らぬ地に向かわなかったらどうなっていただろう。
彼が、「でも、神様…
不確かな未来に、すべてをかけるのは危険です。
サライを守らなくてはなりません。
ここに留まります」と言っていたら、どうなっていただろう。
感謝な事に、ヨセフもアブラムも正しい事をした。
「でも、神様…」とは言わなかった。
ヨセフは誘惑を退けて、罪を犯さなかった。
それによって、イスラエルは救われた。
アブラムは神様に従い、旅に出た。
それによって、彼は信仰の父となった。
私達も、このふたりのように人生の選択を迫られる時がある。
誘惑される事もある。
誘惑から逃げ出して神様から褒美をいただくか、誘惑に屈して惨めな結果を招いた後で、下手な言い訳をするか、どちらも可能なのだ。
また、神様がある方向に自分を導いておられると感じた時、全知全能の神様を信頼して従うか、薄弱な言い訳をして不従順な生き方をするか、どちらでも選ぶ事ができる。
敬虔な人生の豊かさは、弁解や絶望の人生よりずっと優れている。
「でも、神様…」と言ってしまわない生き方を選ぶのは、あなただ。
神様は、成功を求めてはいない。
ただ、従順だけを求めておられる。
最後に、ひとつの質問をしたい。
もしあなたが、「でも、神様…」と言ったなら、どうなってしまうだろう。
何が成り、何が成されないのか、よく吟味する必要があるんじゃないだろうか。
God Bless You!!
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