6月22日(日)

6月22日(日)

『だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく』コリント人への第二の手紙4章15節


老いは、必ず訪れる。
目や耳が悪くなり、物忘れに腰痛、手の関節が痛み、わが身の衰えを思い知らされる。

だけど、パウロは、私達の内面は「日々新たにされていく」と主張している。
どうして、そんな事が言えるのだろう。

老いや弱さによって、私達の意識は神様に向けられるのだと思う。
勿論、老いや弱さを歓迎している訳じゃない。
避けて通れるものなら、そうしたい。

だけど、祈っても祈っても、私達の思い通りにならない事だってある。

私達は、神様や目に見えない世界の現実に焦点を定める事を学び、永続するものと一時的なものとの区別を学ぶ必要がある。
神様は、老いや弱さを通して、この世のものじゃなく、上にあるものに心を留めるように導かれる時がある。

だから、私達は「目に見えないもの」に目を向ける事ができるのだ。
今、抱えている弱点じゃなく、その先にある自分の未来像、つまり輝く美しさと無限の活力に満ちた、栄光ある姿を見つめる事ができる。
そうすれば、私達は決して勇気を失う事はないだろう。

老いの痛みや、身体の弱さと付き合いながら、最期の日まで神様に仕え、祈り、人々を愛して心を配る事だってできる。
私達は、人としてのもろさにもかかわらず、強く生きる品性を知り、身体は万全じゃなくても、痛みを辛抱強く耐え、人々を愛し続ける事ができる。

だから、一時的な問題が起こっても、前進し続けるのだ。
困難を遥かにしのぐ栄光を、垣間見ているのだから。

God Bless You!!

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