6月16日(月)
『あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない』申命記6章5節
子どもの頃から、愛しなさいと教えられる。
相手は、親や兄弟、友達、ペット。
そして、特にイエス様を愛しなさいと教えられる。
だけど、愛とは一体何だろう。
私達は、愛は感情だと思っている。
優しい気持ち、暖かい気持ち、肯定的な感情。
だから、「あなたの神である主を愛せよ」とか、「あなたの隣人を愛せよ」と言われると戸惑ってしまう。
まして、「敵を愛せよ」なんて言われた日には、たまったもんじゃない。
命令で、感情を動かす事なんてできない。
野菜嫌いの子どもに、ピーマンを愛しなさいと命じたところで、皿に盛られたピーマンを喜んで食べるとは思えない。
つまり、「愛」とは、「好き嫌い」を超えるという事なのだ。
「愛」は、感情じゃない。
「愛する」という行為が、「愛」なのだ。
つまり、コリント人への第一の手紙13章4節から5節に示されている、寛容、親切、謙遜、自己犠牲という行為を選択するのが、愛なのだ。
これは、行為の選択という問題なので、好きでない人を愛する事さえ可能なのだ。
「愛しなさい」という命令は、イエス様の言葉なのだから、私達にもできるはずだ。
自分の力ではできなくても、イエス様はそれを知っておられる。
だから、私達を助けてくださる聖霊様によって、御言葉に従順に生きていけるように強めてくださる。
好きでない人(…がいる事は問題なんだけれど)を愛する事も、聖霊様の助けによってできると、私達は学ぶだろう。
もしかしたら、好きにさえなるかも知れない。
だけど、一番大切な事は、人を愛する前に、まず神様に従う心が必要なのだ。
God Bless You!!
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