6月10日(水)の手紙



『最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである』ペテロの第一の手紙3章8節~9節


批判された時、どのように対応するだろう。
怒りに任せて、反撃するだろうか。
植民地時代のアメリカで伝道をしたジョナサン・エドワーズから、多くを学ぶ事ができる。

エドワーズは、すぐれた哲学者として評価されていたけれど、自分の教会の役員たちから非難された。
神の聖餐にあずかるには、生まれ変わる必要があると彼が教えたのは間違っていると言われたのだ。
彼は、教会を解雇されたけれど、その態度は愛と赦しに満ちていたそうだ。

彼の支持者のひとりは、次のように書き記している。
「彼の表情に立腹した様子はまったくなく…まるで聖者のように見えました。
彼の幸福を奪う事ができる敵は、皆無でした」。

エドワーズはただ、キリストを模範にしたのだ。
イエス様は辱められても、相手を侮辱して報復される事はなかった。
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かなかったと聖書が語るように、不当に非難されても、黙っておられた。

批判されても、心の平安を保てるだろうか。
神様に助けを求めるなら、不当な非難やゴシップにもキリストを模範として対応できるだろう。

私達に対する最悪の批判は、私達の中から最良のものを引き出すチャンスになるかも知れない。

God Bless You!!


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