6月1日(木)の手紙


2017年6月1(木)

『しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。』サムエル記上16章7節


不祥事を起こした政治家は、メディアの攻撃に対して「記憶にございません」と自らを守る弁明をする。
しかしこれは、「知らんぷりを決め込む」という、公人のいつもの手口だ。

疑義の出来事について、何も知らないとみんなに思い込ませることで、安全網を張ろうとするものだ。
そして、誰かがスケープゴート(身代わり)になって、悪事の責任を押し付けられてしまう。

クリチャもまた、時々、知らんぷりを決め込むことがある。
自分が悪い態度をとっても、知らないと言ったり、正当化したり、また他人のせいにしたりする。

だけど、神は真実を知っておられる。
聖書は、「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」と語っている。

これは、真実だ。
神は、澄んだ心も、潔白だと嘘の主張をする汚れた心もご覧になる。
人間はうわべしか見ないので欺くことができるけれど、神を欺くことはできない。
神は、真の心を見られる。
その心の良し悪しに関わらず、ご覧になる。

だから、自分の過ちを低姿勢で主に告白するのは、賢明なことだ。
神は、私たちが真実を受け入れることを望んでおられる。
罪にはまり込まず、神との麗しい関係を取り戻す唯一の道は、主の前に自分の罪を認めて告白することだ。

人をうまく騙せても、神は私たちの心を知っておられるのだから。

God Bless You!!

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