5月28日(土)の手紙


2016年5月28日(土)

『もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」。民はこのとき、伏して礼拝した』出エジプト記12章26節~27節


ユダヤ人の歴史の中で一番重要な出来事は、出エジプトだ。

彼らはエジプトの奴隷だったけれど、神によって解放された。
そして、エジプトを出る前に、特別な食事をするように命じられた。
それを「過ぎ越し」と呼ぶ。

神のエジプトに対する裁きは、すべての家の長男を死に至らしめる事だった。
しかし、その死は門柱とかもいに羊の血がついた家を過越していくと言われていた。

ユダヤ人は、神の裁きと憐みが証されたこの御業を忘れないために、過ぎ越しの食事を共にする。
いつの日か、子ども達がこの風習の意味について尋ねる時が来るだろうと、神は言われた。
彼らには、神の救いと出エジプトの話を伝えるという義務があった。
神の願いは、大いなる救いの物語が、一代限りで終わらない事だった。

子ども達が、親の価値観やライフスタイルについて尋ねる時、また、祈って決める、聖書を読む、教会に行って礼拝を捧げるなどという習慣について尋ねる時、私達には答える義務がある。

私達は、クリスチャンだ。
だから、主イエスが過ぎ越しのいけにえとなられた経緯を、子ども達に伝えていかなければならない。
このお方の血は、私達の人生につけられたしるしだ。
私達は、もはや罪の奴隷ではなく、天におられる永遠の神に仕える自由人とされているのだ。

God Bless You!!

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