5月24日(土)

5月24日(土)

『主は悪を憎む者を愛し、その聖徒のいのちを守り、これを悪しき者の手から助け出される』詩篇97篇10節


憎んでいるものを知れば、その人柄の検討がつく。
憎しみは、裏を返せば強い正義感の現われだけれど、「取扱注意」の赤いラベルを貼っておくべきだろう。

イギリスの作家は、「憎しみに注意しなさい。…憎しみは、愛の100倍のエネルギーを消費する激情です。
自分のためにではなく、大義のためにとっておきなさい。
不正や愚行、不寛容のためにとっておきなさい。
なぜなら、憎しみは多感な人の強さであり、私利私欲を離れて用いてこそ、威力を発揮するからです」と助言している。

私達は、自分に失礼を働いた人や、違う意見の持ち主を嫌う。
政治的な信条を異にする人のコメントにムッとしたり、新聞やテレビなどへの怒りの投稿が、些細な問題を大問題に発展させたりする事がある。

これは、憎しみの矛先が間違った方向に向けられているからじゃないだろうか。

教会にあっても、憎しみの矛先が、いのちや希望を侵そうとするものにではなく、人に向けられるなら、亀裂が入ったり、分裂したりするだろう。

昔の巡回伝道者達は、罪を徹底的に憎んだと記された著書を読んだ事がある。
彼らは、詩篇の「主は悪を憎む者を愛し」という御言葉や、「悪を憎んで善を愛しなさい」という預言者アモスの訓戒を真面目に捉え、これに従ったのだ。

もし、私達が悪しきものを憎む事ができないなら、善なるものを愛する事はできないだろう。

God Bless You!!

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