5月21日(水)

5月21日(水)

『たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません』ダニエル書3章18節


信仰を捨てない限り、苦しめられて殺されるかも知れないという状況にあるクリスチャンは、昔だけじゃなく現代社会にも存在する。

この人達は、神様に救う力がある事を信じているけれど、同時に、神様にはご自分の計画があるので、超自然的な御力で救ってくださいという祈りに応えてくださらないかも知れないとも分かっている。

ダニエル書の3人の若者は、金の像を拝まなければ、燃えさかる炉に投げ込まれるという状況に立たされていた。

だけど、彼らは躊躇する事なく言った。
「わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。…たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。
わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。

病に倒れた時。
ひどい恥をかいた時。
大損をするかも知れない時。
愛する人を失うかも知れない時。

私達は、神様の介入を祈るけれど、その祈りには「もしそうでなくても」という但し書きが必要なのかも知れない。
これは、決して不信仰な祈りじゃなくて、私達の献身を試すものなのだ。

イエス様は、「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」と祈られた。

私達は、神様の聖い目的のためなら、どんな事にも喜んで耐える事ができるだろうか。
堅い信仰さえあれば、それを支える勇気も一緒に与えられる事を忘れないで欲しい。

God Bless You!!

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