4月3日(木)

4月3日(木)

『このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている』ローマ人への手紙5章1節


私達の生活は、目がまわるほどの速さで変化している。
教会生活さえも、変化が速すぎて、ついていくのが大変な事もある。

例えば、人々にもっと適切に福音を伝えるために、クリスチャンは従来の「教会」の姿を変えた。
礼拝堂から、長椅子の姿はなくなりつつある。
讃美歌集じゃなく、前方のスクリーンに映った歌詞を見て賛美をする。
また、礼拝メッセージの要点や聖書箇所まで、スクリーン上に映し出される。
もはや、礼拝では、聖書を持ってくる必要もなくなってしまうのだろうか。

今や、多くのクリスチャンは、そういう礼拝形式に馴染んでいる。

またクリスチャンは、イエス様を知らない人達に、福音を伝える方法を変えなくてはいけないと思った。
近隣の人達に伝道するために、スポーツ大会を催したり、恵まれない人に伝道するために食事を提供したり、心理的なストレスや依存症に苦しむ人達のためにカウンセリングの集会を開いたりする。

誤解しないでいただきたいけれど、決してこれらを否定している訳ではない。
だけど、すべてを肯定している訳でもない。

なぜなら、どんなに教会が変化しても、すべてが変化している訳ではないからだ。
パウロが強調した事がひとつあるなら、それは、救いを得る事や保持する事に、行いはまったく無意味だという事だ。
私達は、ただ信仰によってのみ、義とされ、救われるのだ。

礼拝の形式や、福音の伝え方は、これからも変わっていくだろう。
ある人は、「回復」という言葉を使う。
ある人は、「変化」という言葉を使う。

だけど、救いだけは、イエス様を信じる信仰によってのみ得る事ができる。
この事は、決して変わる事はない。
絶えず変わっていくこの世にあっても、神様の御言葉は決して変わらない。
だから、「信頼」できるのだ。

God Bless You!!

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