4月20日(水)の手紙


2016年4月20日(水)

『弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」』ヨハネによる福音書9章2節


誰かが困難に陥ったと聞くと、いつ、どこで、何がどうなったのかという事には関心を持つのに、どうやってその人を助けようかと考えないのはどうしてだろう。

盲目の物乞いの傍らを通り過ぎようとした時、弟子達はイエス様に質問をした。
この人に手を差し伸べて助けたいという同情心より、苦しみの訳を知りたいという好奇心が勝っていたのだ。

この質問は、主イエスの御心をまったく逸脱している。
事実、この質問の根底には独善的な精神が潜んでいた。
つまり、誰が悪者かを知りたいという欲望だ。
そんな事を知っても、何の役にも立たないのに。

だけど、イエス様は、ありがたい事に、同情心を込めて応答する模範を示してくださった。
憶測したり、非難したりせず、ご自分にできる事をして、彼を助けられた。

この場合、それは完全な癒しだった。
そして、その人の目が見えなかった理由を明らかにされた。
それは、イエス様の憐みに満ちた手が彼に触れた時、神の御業がこの人に現れるためだ。

他人の問題に好奇心の目を向けるのは、良い事ではない。
イエス様の御心に沿って、その人の必要に応えるように努力しよう。
痛んでいる人があるならば、手を差し伸べよう。
イエス様の愛を行動で表そう。
イエス様のようになりたければ、好奇心を愛に変えよう。

God Bless You!!

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