3月8日(土)

3月8日(土)

『聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である』テモテへの第二の手紙3章16節


聖書を、全面的に肯定する事に抵抗を感じる風潮は、どの時代にもある。
時代遅れだと思える一部の聖書的見解を、取り除いたり変えたりしたいという誘惑は、常にあるものだ。

地獄についての教義であろうと、性に関しての道徳的規範であろうと、聖書を部分的に無視するべきだという圧力を感じている人が、多いのではないだろうか。
真理は、その時代の人々に不快感を与えるものを、部分的に含んでいるからだ。

何世紀も昔、ユダの王は、神様のメッセージが書かれた巻き物を手にした。
それが音読されると、王は立腹して、小刀で巻き物の一部を切り取り、火に投げ入れたのだ。
ついには、巻き物すべてが火で焼かれてしまった。

神様の御言葉を聞いても、王も家来達も恐れなかったけれど、その王は、神様に不従順だったために、遂に国を失う事になってしまった。

自分の好みに合うように聖書を手にしたり、その教えを軽視するなら、私達は本当の意味で神様を恐れている事にはならない。
神様の御言葉に従順しないで、自分の主義主張や人情を、聖霊によって書かれた御言葉の上に置いてはいけないのだ。

神様の御言葉の一部を大目に見たり、見ないふりをしてはいけない。
私達は、どんなに変わりゆく世の中で生きていたとしても、決して変わらない神様の御言葉を信じて生きていくのだ。

God Bless You!!