3月7日(金)

3月7日(金)

『愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか』コリント人への第二の手紙7章1節


雑草は、どこからともなく飛んできて、庭を占領してしまう。
雑草には、手入れは不要だ。
勝手に生えて、勝手に茂るのが好きだから。

だけど、花壇の花は、水や肥料をやらなくてはいけない。
勿論、除草も必要だ。
花壇の花は、手が土で汚れるのを嫌がらない人に、世話をしてもらって成長する。

どこか、クリスチャン生活と似てはいないだろうか。
クリスチャンは、肉体、知性、感情、意思のすべてを、イエス様にゆだねて生活しなくてはいけない。
その結果、健康的で生きがいのある人生を築く事ができる。
それは、とても手のかかる作業でもある。

だけど、その途上で、罪と言う雑草が芽を出して、御霊の実に覆いかぶさろうとする。
これは、コリントの教会の問題でもあった。
彼らは、ねたみや対立に飲みこまれそうになっていた。

そこでパウロは、「肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか」と教えたのだ。

「清さ」とは、単に罪を犯していないという意味じゃなく、非難されるところがないという意味がある。

だから、霊肉に芽吹く雑草が、厄介な癖になる前に、それを引き抜ける力が必要だ。
そして、麗しいまでの御霊の実が、私達の人格に豊かに実るように祈ろう。

神様に100%従うなら、決して罪に屈する事はないのだから。

God Bless You!!