3月21日(金)

3月21日(金)

『それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」』使徒行伝16章30節~31節


ヘンリー・ナウエンは、「正しい問いかけをする事は、正しい答えを見つけるのと同じくだい決定的に重要だ」と言っている。

だけど、クリスチャンじゃない人が、どんな人生の問いかけを持っているのかに耳を傾けようともしないで、お決まりの文句を並び立てて伝道しようとする事がある。
これは、聖霊様に先走った行為じゃないだろうか。

これが、クローズアップされた出来事が過去にあった。
ある建物の壁に、誰かが、「キリストが答えだ!」と落書きをした。
だけど、通りがかりの人が皮肉って、「質問は何だ?」と書いたのだ。

福音のために牢に入れられていたパウロとシラスは、看守の心の深いところに眠っていた霊的な問いを目覚めさせた。
ふたりがわかりやすい伝道メッセージをしたからじゃない。
祈ったり賛美をしたりしていた事が、きっかけだった。

地震のために、牢の扉が開いて、囚人の鎖が解けたので、看守は彼らが脱走したと思った。
そして、自分は責任を取らされて処刑されると思って、自殺しようとした。

だけど、パウロとシラスは、あえて牢に留まって、この看守の自殺を止めたのだ。
この時、看守はこう叫んだ。
「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」

今も、聖霊様は、あの時と同じように、人々の心に正しい問いを起こして、正しい答えである「イエス・キリスト」を受け入れる備えをされている。

だから、私達は、塩気のあるクリスチャンになる必要があるんじゃないだろうか。
なぜなら、塩気のあるクリスチャンは、命の水への渇きを、人々に起こさせるからだ。

God Bless You!!