3月13日(金)の手紙


『ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」』ルツ記2章20節


遠い昔、ひとりの男性がトラックターミナルで働いていたが、その向こうには石炭会社があった。
近くには鉄道の線路が通っていて、毎日数回、貨物列車が通過していた。
石炭会社の社長はクリスチャンで、毎日、線路に向かって石炭を投げていた。

男性は、ある日、彼にその訳を尋ねた。
すると社長は、答えて言った。

「線路の向こうに、ひとり暮らしのお婆さんがいるのだけれど、彼女の年金では暖房用の石炭は十分には買えないのだよ。
それで、列車が通り過ぎると、機関車からこぼれ落ちた石炭を拾おうとやってくる。
蒸気機関車がディーゼルに変わっている事を、知らずにね。
私は、彼女をがっかりさせたくないのさ。
それで、石炭のかけらを少しばかり投げているのだよ」。

これは、キリストの教えを実践する行為だ。

ルツ記は、このような親切の本質を鮮明に描いている。
ボアズは、自分の畑で落ち穂を拾っているルツを見て、使用人達に幾らかを彼女のために残しておくように命じた。
ルツにとって、それは主の恵みだった。

同様に、私達が関わる人々にも、私達の同情心や寛容さを通して、神様の愛をあらわす必要がある。
神様を知っている人達の親切は、人生のざらざらした部分を取り除く潤滑油になるのだから。

God Bless You!!


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