3月13日(日)の手紙


2016年3月13日(日)

『それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた』ヨハネによる福音書13章5節


有名大学の若くて聡明な哲学教授は、神の存在について疑問を持っていた。
ある日、彼は街を歩いていて、絵画を売っている店の前を通りかかった。
そして、ショーウィンドーに飾られたシンプルな絵に惹きつけられた。
それは、イエス様がひざまずいて弟子達の足を洗っている絵だった。

人間になられた神が、人の足を洗うという話が、ヨハネによる福音書13章に記されている事は知っていた。
だけど、その行為の意味するところがやっとわかったのだった。

この若い哲学者は思った。
「神であるのに、それほど卑しい仕事をなさるのならば、そのお方は、私の神に違いない!」
この絵との出会いは、彼が自分の人生を本当の神、つまり、足を洗ってくださる神に自らを委ねようと決心するきっかけになった。

私達クリスチャンは、神が存在するのは当たり前だと思っている。
始めも終わりもない永遠の御霊がおられるという聖書の教えを信じている。
だけど、この神は一体どんなお方だろうと、不安を感じる時があるかも知れない。
大きな災害が起きた時、神が愛のお方であるのなら、なぜこんな事が起こるのだろうと思わないだろうか。

ヨハネによる福音書13章をじっくり読みながら、神が足を洗う神である事を考えてみよう。
神の測り知れない献身的な愛を前にして、私達もこのお方に自らを委ねたいと思わないだろうか。
神に委ねる人生ほど、安全な人生はないのだから。

God Bless You!!

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