3月12日(土)の手紙


2016年3月12日(土)

『わが子ソロモンよ、あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう』歴代志上28章9節


アブラハム・リンカーンは、「神は私の味方だ、と誇るのではありません。
私が神の味方でありますようにと、謙遜な気持ちで祈るのです」と記している。

リンカーンの言葉は、アザリヤがユダの王、アサに言った事と同じだ。
神の霊がアザリヤの下り、彼はアサ王に言った。
「あなたがたが主と共にいる間は、主はあなたがたと共におられます。
もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださる。
もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます」と。

歴史を振り返ってみると、人々は「神は私達の側におられる」と言って、平気で卑劣な行いをしてきた。
だけど、神がいつでもクリスチャンの味方をされるとは限らない。
その昔、必ずしもイスラエルの味方をなさらなかったのと同じです。

神は、ご自分の側に立つ人、つまり、神の御心を知り、御旨に従う人達の味方だ。
自分の正しさを主張する人の味方ではない。

神は、預言者イザヤを通して、ご自分は虐げられている人々の味方だと語られた。
だから、クリスチャンは、このような人々の側に立つべきなのだ。
私達の願いを、神の御心と勘違いするのは危険な事だから。

God Bless You!!

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