2023年5月8日(月)

2023年5月8日(月)


『聖なる無能力』

トロント近郊の重度障がい者施設ラルシュ共同体に、ヘンリ・ナウエンを訪ねたことがある。
ナウエンの小さな部屋で昼食を共にした。

アイビーリーグの大学で教鞭をとったことのある著名な心理学者であり神学者でもあるナウエンは、著述家としても講演者としても大いに名を馳せていたが、ここでは教会「産業」は遥かかなたのものに見えた。

昼食後、ナウエンが世話をしているアダムという若者のために特別の聖体拝領が行われた。
ナウエンはアダムの26回目の誕生日を祝う典礼を行った。

アダムには重度の知的障がいがあり、話すことも、歩くことも、ひとりで洋服を着ることもできなかった。
アダムは何一つ理解していない様子だった。
それでも家族がやって来たことはわかるようだった。

よだれを垂らし、何度か大きなうなり声をあげた。
後になってナウエンから、毎日二時間かけてアダムの支度をすると聞いた。
入浴させてひげをそり、歯を磨き、髪をとかし、手を取って朝食を口に運ぶのを助けるという。

一瞬、この忙しい司祭に、もっと有効な時間の使い方があるのではないかという疑問が頭をかすめた。
ところが、ナウエンは言った。

「ぼくは何もあきらめてなんかいないよ。
アダムとの友情で得をしているのは、僕のほうなんだ。」

それでも最初は簡単ではなかったという。
けれどもナウエンは、神が私たちをどんなふうに愛してくださっているかを学んでいったと話した。

私たちは霊的に整えられておらず、知的な障がいがあり、神にすれば不明瞭な不平不満やうめき声のようなもので応えられるだけなのに。

ナウエンは、人生で二つの声が心の中で競い合っていると言った。
一つの声は成功しろ、成し遂げろと励ますが、もう一つの声は、自分が神に「愛されている者」であるという慰めの中に憩うように、と叫ぶという。

人生最後の十年間に、ナウエンはこの二つめの声に初めて耳を傾けるようになった。
そして最終的に、「このミニストリーの教育形成の目的は、私たちの出会う一人ひとりの中に、主の御声、御顔、御手を絶えず認めることである」と結論した。

ヘンリ・ナウエンがすでにこの世にいないのは寂しい。
私にとって、ナウエンを最もよくとらえたイメージがある。

無反応で子どものような男のために、ほとんどの親が堕胎を選ぶほど重い障がいのある男のために、髪を振り乱し、何もないところから言葉を紡ぎ出すかのように、両手を忙しく動かし、誕生日の聖体拝領を執り行うエネルギッシュな司祭である。

この姿ほど受肉をよく象徴しているものがあるだろうか。

God Bless You!!


a:17 t:1 y:1