2023年5月5日(金)

2023年5月5日(金)


『身体の部分』

イエスが父なる神のもとへ上った今、私たちはどのように神の愛を感じ取ることができるのだろうか。

新約聖書の一つの答えの中心には、「キリストのからだ」がある。
三十回以上も使われている神秘的な言葉だ。
パウロは、特にその言葉で教会の本質をイメージさせている。

イエスはいなくなるとき、欠点だらけで失敗の多い者たちに、ご自分の使命をお委ねになった。
イエスは教会のかしらの役割を担い、腕や足、耳や目、声の仕事を、移り気な弟子たちに−−–−あなたや私に
−−−−任せられた。

四つの福音書を注意深く読むと、この新たな設定をイエスが心に抱き続けておられたことがわかる。
自分が地上にいる時間が少ないことを知っていて、自分の死と復活の後にさえも継続する使命をこう宣言された。

「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。
よみの門もそれに打ち勝つことはできません」。

多くのメンバーをもつ大きなからだの、目に見えないかしらとして働こうとするイエスの決断は、苦しみに対する私たちの見方に影響を与える。

それは、私たち相互の助け合いにイエスがしばしば頼るということである。

「キリストのからだ」という言葉は、私たちが何をするために召されているかをよく表現している。
キリストがどのような御方であるかを具体的に現すこと、とりわけ困っている人々に現すことだ。

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。
それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」。

パウロは伝道を通してこの原理を実践し続け、疫病に苦しむ人々のために寄付を募り、困難に見舞われている地域に助け手を遣わし、信仰者たちの賜物を神ご自身からの贈り物であると認めていた。

God Bless You!!


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