2023年5月17日(水)

2023年5月17日(水)


『聖なる愚者』

計算や遠慮をしながら決断に臨む私と異なり、神はしばしば「聖なる愚者」、すなわち愚かな信仰の道をまっすぐに進む夢想家たちを通して働かれる。

実際、信仰の問題になると、逆転という珍しい法則が適用されるらしい。
現代世界が崇めるのは、知性、見た目の良さ、自信、洗練さだ。

しかし、明らかに神は違う。

ご自分のわざを成し遂げるために、十分な教育を受けていなくても、神に信頼することしか知らない素朴な人たちをしばしば頼みとされる。
そして、彼らを通して不思議なことが起こる。

最も賜物のない者が、祈りの巨人となり得る。
祈りが要求するものは、神とともに過ごしたいという強い願望だからだ。

シカゴにある私の教会は、人種の面でも経済的な面でも実に様々な人たちが気持ち良く混在している。
あるとき重大な危機が起き、徹夜祈禱を計画したことがあった。

この計画に懸念の声をあげる人たちがいた。

こんなスラム地区で行って、安全だろうか。
駐車場に見張りや警備員を雇うべきではないか。
だれも来なかったらどうしよう。

徹夜祈禱の予定は、これに関わる実務的問題を長時間議論した後で、ようやくカレンダーに書き込まれた。

教会員の中で最も貧しい人々は、低所得者用住宅に住む高齢者たちだが、徹夜祈禱の話が出たとき、最も熱心に賛成したのがこの人たちだった。

長い年月の間彼らには答えられずに終わった祈りがどれほどあったことだろう。
犯罪と貧困と苦しみに囲まれた低所得者用住宅に住んでいる人たちなのだ。

それでも彼らは子どものように祈りの力を信じていた。
「何時間ぐらいここで祈りますか。一時間か二時間ぐらいですか。」

車での送迎の手配をしながら、私たちは尋ねた。
彼らは答えた。「一晩中祈ります。」

杖を使って歩き、目もよく見えない九十歳のアフリカ系米国人女性が、危険な地域にある教会の硬いベンチに一晩座っていたい理由を、スタッフにこう言った。

「私たちにはね、この教会でしてあげられないことがたくさんあるんだよ。
満足な教育も受けていないし、あんたたち若い人みたいなエネルギーもない。
でも、お祈りはできる。時間はあるし、信仰がある。
どっちみち、私たちの中にはそんなに眠らない人もいるし。
必要なら、一晩中だってお祈りできるよ。」

そうした事の運びとなったのだ。

その中で、繁華街にある教会のヤッピーたち〔訳注=1940年代後半から50年代前半に生まれた都会派の若手エリート層〕は大事なことを学んだ。
信仰は最も期待の薄いところに現れ、よく育つはずのところで弱るということを。

God Bless You!!


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