2023年5月15日(月)
『力の共有』
私は自分の人生で、御霊の壮観な現れを経験したことがなく、正真正銘の「奇跡」を何一つ指し示すことができないので、自分は霊的に劣っていると思っていた。
しかし、自分が価値を置くものが、神が価値を認めておられるものと大きく異なっている可能性があることが少しずつわかってきた。
イエスは奇跡を行うことに乗り気でないことが多く、欠点だらけの弟子たちに使命を委ねて地上を離れるときにも、それを進展とお考えになった。
誇らしげな親のように、神は自らの全能を披露するよりも、ご自分の青二才どもが、もたつきながら何かを成し遂げるのを見物するほうに大きな喜びを感じるらしい。
推測させてもらえるなら、神の視点からすると、人類の歴史における大きな前進はペンテコステの事件かもしれない。
このことによって、エデンで失われた、人の霊と聖霊との直接的な交流が取り戻されたからだ。
私は神に、直接的で印象深く、反駁できないかたちで働いていただきたいと願うが、神は私のような者と「力を共有」したいと願っておられる。
神は人間を排除することなく、人間を通してご自分の仕事を達成なさりたいのだ。
「私の思いを真剣に受け取ってほしい!
子ども扱いせず、一人前に扱ってほしい!」
十代の若者はみなこう叫ぶ。
神はその要求を喜ばれる。
私を御国の働きのパートナーとし、私が自由を乱用することを百も承知で、私に自由を与えておられる。
神がここまでなさるのは、淡い恋を抱く若者ではなく、成熟した愛をもつ者をパートナーとして欲しておられるからだ。
結婚において二人は、それぞれの自由と独立を保持しながらも協力関係をつくり上げることができる。
そうであっても、二つの性が結婚で結び合わされると、一生涯かけた二人の仕事になるやもしれぬ違いがある
ことに、夫婦なら、みな気づくものだ。
私が神との人生を一つの公式に還元することができないのは、自分の結婚を一つの公式に還元できないからだ。
それは、自由で、私とは異なり、なおかつ多くのものを共有している他者との、生きて成長していく関係だ。
結婚ほど挑戦しがいのある関係はない。
「旧式の」結婚のほうが良かったのではと思うこともある。
旧式の結婚では、役割や期待がより明確にうたわれ、絶えず交渉する必要がない。
何かしら外部からの介入があって、妻や私に痛みをもたらす原因の一つが決定的に変わらないかと願ったりもする。
しかし今に至るまで、そんなことは起きていない。
私たちは毎朝目を覚まし、一歩ごとに確かさを増す場で旅を続けていく。
愛はそんな具合に働くのだ。
パートナーが目に見えても見えなくても。
God Bless You!!
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