2023年5月14日(日)

2023年5月14日(日)


『絶滅の危機に瀕した野生』

ヨブ記の最後に書かれている壮大な語りの中で、神はご自身が動物の王国についてどう感じているか明言しておられる。

注意深く見れば、ヨブ記の教えを際立たせるために引き合いに出された実例には、共通の糸があることがわかるだろう。

雌獅子、野やぎ、野ろば、だちょう、馬、鷹、鷲、鳥、カバ。
「野生」は、神が言及した動物に共通する特徴で、それがヨブに送ったメッセージの根底にある。

創造された世界にいながら、決して人間の家畜になることのないものたちを、神は祝福しておられる。
野生動物は明らかに、「神がご覧になるとおりの世界」で、本質的な機能を果たしている。
彼らは私たちをいくらかでも謙虚にさせる。

自分たちが被造物であるという、できれば忘れたがっていることを思い起こさせてくれる。
また目に見えない、手なずけることなどできない神の荘厳さを人間の五感に訴えかけてもいる。

野生動物について書くと、どうしても説教臭くなってしまう。
人間が野生動物に対して犯してきた罪はきわめて大きいからだ。

アフリカでは、密猟者や傍若無人の兵士らの仕業で、ゾウの個体数が半減し、サイがほぼ全滅した国もある。
また人間は毎年、ニュージーランドに匹敵する規模の熱帯雨林地域を破壊し、そこに住むあらゆる動物を滅ぼしている。

野生について書かれたものの大半が、こうした絶滅しつつある動物をテーマにしているが、私は人間に与える最も大きな影響が何であるかについて考える。

野生に対してもともともっていた感謝の思い以外に、私たちは何を失ったのだろう。
権威に対する嫌悪感、あるいは神を認識することの欠如も、こうした感覚の退化に由来するのだろうか。

神は動物に言及するだけで、ヨブのもつ畏怖の念に影響をお与えになった。
堀の向こうのカバやワニにピーナッツを放り投げながら大きくなった私たちはどうだろうか。

ナチュラリストのジョン・ミューアは悲しげにこう結論した。
「非常に多くの生き物が、大きいものも小さいものも、無数にある動物のほとんどが、人間が造られる前は、神の愛に包まれ、幸せに過ごしていた……。」

天は神の栄光を宣言し、海面上に飛び出る鯨や高く跳び上がるスプリングボック(トビカモシカ)も同様である。

幸いなことに、世界には、まだ神の愛の中で多くの生き物が生きているところがある。
私たちにできるせめてものことは、彼らの居場所をつくることだ。
彼らばかりでなく私たちのためにも。

God Bless You!!


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