2023年5月13日(土)
『孔雀の賛美』
オーストラリアに行ったとき、野生生物を崇敬の目で見ることにした。
三日間過ごしたフィリップ島は、神の創造物の宝庫だった。
カンガルーやワラビーと並んで朝のジョギングをすると、頭上ではオウムが旋回し、ユーカリの森ではコアラが寝ていた。
夜はミズナギドリやリトルペンギンを見ることができた。
毎年9月24日になると、フィリップ島に尾の短いミズナギドリが百万羽も帰って来る。
毎晩、波打ち際に急降下すると、海面すれすれに飛び(「水を突っ切る」」小魚をかっさらう。
この鳥は不器用で、不時着すると何度か転び、ふらつきながら憤然として巣に戻る。
アラスカやアリューシャン列島から15000キロという距離を渡ってくる。
何より注目すべきは、その子育て法だ。
親鳥たちは、ひなが大きくなると、一団となって去って行く。
未熟なひなは飛び方から魚の獲り方、アラスカに向かう方法まで自分で学ぶ。
驚くべきことに、この試練の中でも半数が生き残る。
夜、一日の漁を終えて巣に戻るリトルペンギンの行進は、文句なしに楽しめる。
日が落ちかかると、十や二十の「いかだ」の形になり、岸を目ざしてぷかぷか泳ぎだす。
30センチに満たないこの小さなペンギンは、海岸沿いに隊列を組んで集まると、広い砂浜を越えて行く勇気が満ちるのを待つ。
一羽が歩きだすと数羽がそれに続く。
ところが急に怖気づくと、また全員で慌てて海に戻る。
C・S・ルイスは、神の創造物を観察するのは、神聖な呼びかけではないかと言う。
「野生動物は神の創造物をたたえることができず、天使は純粋な知性であると思う。
彼らは最も偉大な科学者たちよりも色や味をよく理解している。
ところが、彼らに網膜や口蓋があるだろうか。
『自然の美しさ』とは、神が私たち人間だけと分かち合われた神秘ではないだろうか。
私たちが造られた理由の一つも、そこにあるかもしれない。」
フラナリー・オコナーはかつて、自分の飼っていた孔雀たちとその反応をエッセイに綴った。
孔雀が羽を広げたその姿は、「光輪をつけたたくさんの太陽が華やかに群れて、一つ一つが目のようにじっとこちらを凝視している」ようである。
あるトラックの運転手は、「こいつを見ろ!」と叫んで急ブレーキをかけた。
多くの人が口をつぐんだが、一人の老齢の黒人女性のシンプルな叫び、「アーメン!アーメン!」が、オコナーのお気に入りの反応だった。
孔雀を設計した芸術家である神は、この反応を大いに喜ばれただろう。
それこそ私がフィリップ島に感じたことなのだ。
God Bless You!!
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