2023年5月12日(金)

2023年5月12日(金)


『雑草と花』

コロラドに引っ越すと、すぐに有害な雑草について学んだ。

コロラド州のこの付近では、タンポポ、フランスギク、ロシアアザミ、ホソバウンランなどありがたくない種類が植物ウィルスのように広がって、在来種の生存を脅かしている。

良き市民になりたい私は、雑草を引き抜くための頑丈な道具を買い込むと、毎年春と夏の恒例行事となった仕事を開始する。

午後、有害な侵入者を捜しながら自宅裏の丘を散歩する。
やってみると、この散歩は理想的な祈りの機会となった。

一日の中ほどで数分間、自宅の仕事場のあれこれ気になることから離れ、美しい自然の中に、ひとり身を置く。

妻が一緒に来たある日、雑草を探しながら祈る散歩について悟ることがあった。
妻の鋭い目が雑草を見つけるうえで役立ったのは確かだが、もっと重要なのは、彼女が二十種類以上の野生の花を指し示して散歩の性質をすっかり変えてしまったことだ。

私の目は雑草を探すことに集中するあまり、丘を美しく飾る野生の花を見過ごしていた。
雑草を引き抜こうとする努力は、まさにこうした花々を守るためだったのに!

祈っているときも同じことをしているのではないかと思った。
私はからみ合った問題の塊を神にもっていく傾向にあるが、それは賛美したり感謝したりする機会を見過ごして、もつれた雑草の束を収集バッグに入れて持ち帰っているのに似ていた。

私は自分の周囲一帯にある、神のみわざの驚くべき証拠を見逃しながら、問題を解決してくださる御方(雑草を引き抜いてくれる道具)として神を見ている。

そして特に何も起こらないように見えると、じれったくなる。

祈るときに示してしまう苛立ちを治す方法を発見した。
祈り続けることだ。
ストレスがたまりすぎると、祈ることをやめてしまうか、祈りに対するアプローチを変えるか、どちらかになりがちだ。

十八世紀の神秘主義者ジャン・ニコラ・グルーは、健全な祈りは謙虚で厳かで愛にあふれ、確信があり、決してあきらめないものだと主張した。

性急さの正反対だ。

God Bless You!!


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