2023年4月26日(水)
『真理から恵みを引けば』
〔4月25日の続き〕
トルストイの宗教関連作品を読むと、悲しくなる。
人間の心を射抜くX線のようなまなざしは、彼を文豪たらしめたが、悩めるクリスチャンにもした。
産卵するサケのように上流に向かって一生涯戦いを進め、最後は道徳の実践に疲れきり挫折してしまった。
しかし、私はトルストイに感謝もしている。
本物の信仰を求めるその激しい思いは、忘れがたい印象を私に残したからだ。
トルストイの小説に初めて出合ったのは、「教会による虐待」の後遺症に苦しんでいた時期だった。
私の育った教会にはあまりにも多くの欺瞞があった。
少なくとも、若くて傲慢な私の目にはそのように映った。
福音の理想と、その福音に従う人々の欠点との間にある大きな裂け目に気づいたとき、到達することなどできないそんな理想など捨て去るようにとの猛烈な誘惑に駆られた。
そうしたなかトルストイを発見した。
彼は私にとって、最も困難であった仕事を成し遂げた最初の作家だった。
トルストイが善を悪と同じくらい信じるに値するもの、そして魅力のあるものとしたからだ。
私は彼の小説や寓話、短編に、道徳の力の根源を見いだした。
トルストイの伝記を書いたA・N・ウィルソンに言わせると、「彼の宗教は、恵みによるものではなく、究極的には律法によるものであり、堕落した世界を貫く神のビジョンというより、人間が向上するための計画だった」。
トルストイは水晶のような明晰さをもって、自分の不完全さを神の理想という光に照らして見ることができた。
しかし、もう一歩進んで、神の恵みがその不完全さをすっかり覆ってしまうという確信には至らなかった。
トルストイを読んで間もなく、彼と同郷のフョードル・ドストエフスキーと出会った。
ロシアの二大文豪は、歴史の同時期に生きて活動した。
互いの作品を讃えながら、二人は一度も会うことがなかった。
太陽の周りを回る惑星のように、二人も同じ町をぐるぐる回り、互いに意識し、影響力を及ぼし合っていたが、二人の軌道が交わることはなかった。
それがかえってよかったのかもしれない。
何から何まで正反対だったからだ。
ドストエフスキーはその人生で多くの間違いを犯したが、芸術において驚くべきわざを成し遂げた。
彼の小説はトルストイに負けないほどの力量で、キリストの福音の核心である恵みと赦しを伝えている。
〔4月27日に続く〕
God Bless You!!
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