2023年4月20日(木)

2023年4月20日(木)


『悲劇に襲われて』

「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか」。

使徒ペテロは混乱するなかで、こう問うた。
多くの場合、そのような問いが生まれるのは悲劇に見舞われたときだ。
その悲劇がコロラド州リトルトン、わが家に近いコロンバイン高校で起きた。

牧師、親、学校理事、そしてこの事件に傷ついた人はみな今も「なぜ」と問うている。
悪の要素がこの悲劇の中でかくも大きな姿……憎しみに満ちた、人種差別主義の十代の若者が、自動小銃を同級生たちに発砲するという姿……を現したので、だれも公には神をこの事件に関連づけていない。

この悲劇が提示する問いに答えるためには、コロラドに住む必要があるだろう。
そのような恐怖から何か良いものが生まれてくるのか、この悲劇は贖われ得るのか、という問いである。

クレメント・パークに、世界中から手書きのメッセージが寄せられている。
教会は、事件後何日も何週間も、深く悲しむ礼拝者であふれている。

「ザ・トゥデイ・ショー」を見れば、兄弟が犠牲になったクレイグ・スコットが、殺害されたアフリカ系米国人生徒の親の肩に手を置き、慰めている様子が映っている。

銃撃犯が頭に武器を向け、「おまえは神を信じるか」と問いただしたときに、キャシー・バーノールが「ええ、信じています。
あなたも神の道に従う必要があります」
……彼女がこの世で発した最後の言葉……と答えたその勇気を友人たちが語る声も聞けるだろう。

希望という無垢、無垢という希望をもって、「また彼に会えるとわかっていることは大きな慰めです」と言った別の犠牲者のガールフレンドの言葉も聞けるだろう。公

立校五年生のクラスに出れば、教師が生徒たちを床にひざまずかせ、手を握り、声に出して祈らせたことを知るだろう。

そんなとき米国自由人権協会は沈黙している。

デンバーの別の学校では、教師たちがクラスの生徒たちに、自分がクリスチャンであると告げていなかったことを謝罪し、生徒たちを放課後に集めて、悲劇を乗り越える援助を行っている。

悪から善が生じるのかもしれない。

God Bless You!!


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